落合陽一さんの個展が開かれているGYREで、メディアアーティスト 落合陽一さん× シューズアーティスト 串野真也さんのトークショー1回目の部に2018年5月1日に参加してきました。
落合陽一さん「ナマモノをナマモノじゃないもので切り取るとナマモノに見えてくる」
— 樟葉 涼 | Arts of Shikinagi 代表 (@kusuharyou) 2018年5月1日
串野真也さん「ナマモノがファイナルデザインであり、最新にして最終」
おふたりのトークはサバ,昆虫,波,侘寂と様々で、けれど一貫してテクノロジーと自然の関係についてのお話だった。#GYRE #落合陽一 #artwork pic.twitter.com/mGz9JXBMIc
トークとしては開幕から明確なテーマが打ち出されており、それはすなわちクリエータとしての方向性が落合さんと串野さんでは違うよね。
お互いに、正反対を志向しているという話から始まりました。
落合さんの作品の創作スタンスは、テクノロジーを利用して視覚、聴覚、あるいは他の五感にも訴えかける作品を作ると、それがあたかも自然にそこに存在するかのように錯覚する。
そうした方向を志向しており、補足的な話で下記のお話も出ていました。
逆に例えば、図鑑の中の昆虫は見せたいものしかみせない。現物は例えば2cmくらいのサイズだが、図鑑はもっとずっとそれこそ何千、何万分の一まで解像度を上げる事が出来ると。
一方で人間の目では解像度が足りないので、どんなにきれいに図鑑では綺麗に見える虫でも、肉眼ではその良さを理解することはできない。
一方で、串野さんは蛍光素材を食べさせた蚕の絹で西陣織を織ったり、下記のような靴の作品を発表しているように、切り取られた自然を人工的なもの、靴や服に寄せていくというスタンスのようにお話を聞いて思いました。
出典:【ファッションってなんだろう?vol.3】Masaya Kushino串野真也3/3(2014年4月13日)|ウーマンエキサイト
そのあとは、マルタン・マルデラの話、串野さんが伊藤若冲をリスペクトして作品に影響を受けている話。ブナ林いいねという話や、沼を語りたいという話まで取り留めなく、様々な話題が繰り広げられました。
また興味深い話としては、ブレードランナーで「本物の木」「紙の本」の質感がわかるひとが出てくるが、ほぼすべての書類が電子書籍だったりデジタルネイチャ―な時代に生まれた子供、あるいは世代がどういった本物の木が何かをしる「生の体験」をどのように積むか、数多く詰めるのかという話もありました。
そのあと、今後の作品テーマという話題で概ねのクロージングを迎えるわけですが、そこで出たお二人のテーマが落合さんが「明治や昭和を自然なものにしたい」串野さんが「受け継がれていくものをつくりたい」というものでした。
前者は、例えば田舎に置かれてあるひび割れたポスト。誰かがかつてはそこまで来て、整備し運用していた痕跡。
けれど、今はそれを保守する人も、運用する人もいない一つの時代を何らかの形で残しておく。
それが今後の落合陽一さんのテーマのひとつだそうです。
一方で対談相手の串野さんは、時代を超えて受け継がれるものをつくりたいというようなお話で、作品の中でお二人とも時間軸を考えられているなという印象でした。
落合さんの個展の情報は下記にも記載しております。よろしければ、ぜひお読みください。